ぼくの人生(まだ終わってないけれど、、、)
0才
早産で未熟児、逆子で生まれた。
産婆さんは言った。
「この赤ちゃんの命は、3日と持つかどうか、、、」
3才
おもちゃのコマをノドにつかえ、大量の血を吐く。
父は僕を片手で抱え、オートバイでデコボコ道を病院へ。
医者は言った。
「運のいい子だ。揺さぶられて、コマを吐き出したみたいだ」
5才
肺炎をわずらう。 それを、近所の医者が結核と誤診。
様態は悪化し、危篤状態で救急入院。
医者は言った。
「あと一日入院が遅れていたら、死んでいたでしょう」
7才
兄と一緒に乗っていた自転車が、坂道で空に舞い、
レバーが眉毛を直撃。
医者は言った。
「あと2ミリ、下にずれていたら、眼球に刺さり、
即死していたでしょう」
9才
嵐の砂州に、一人取り残された。
砂州が消え、波にさらわれ、溺れそうになった。
運良く漁師の船に助けられた。
12才
原因不明の自立神経失調症、
医者はサジを投げ出した。
僕は祈った。
「せめて、東京オリンピックを見て死にたい」
幸運にも、快復した僕は、こう誓った。
「何度も死んでいて当たり前のぼく。
これからはおまけの人生として、
良いことも悪いことも、
心から感謝して生きていくんだ!」
キャラメル‥‥幼稚園のころ、父が渡してくれるおやつは、
一日にキャラメル一粒だけ・・・。
それを30分おきに、縦線と横線にそって、
歯の先でちょこっとかじれば、一日中楽しめた。
紙芝居‥‥まわりの子供たちは、塩コブや水飴をなめている。
怒った顔のおじさんは僕に言った。
「母ちゃんから、1円もろうち来い。
塩コブ買わんと、ワシの紙芝居は見せんぞ!」
みんなと黄金バット遊びをしたかった僕は、
横町の塀に隠れ、遠くから紙芝居を盗み見した。
ガム‥‥‥小学二年の夏休み、お金がなくて、
宿題の切手やコインの収集ができなかった。
そこで僕は、ガムのあき紙を集めることにした。
毎日、町を歩きながら、道ばたに落ちているガムのあき紙を拾い、
洗って乾かし、ノートに貼り付けた。
夏休みが終わって、先生から誉められたとき、
ついつい泣いてしまった。
チョコレート‥‥小学四年生の時、週に一度、
親からチョコレートを一箱もらうようになった。
僕はそれを食べることができず、宝箱に貯めていった。
ある日、部屋の掃除に来た母が、
引き出しに隠してあった宝箱を見つけた。
「どうして?」 と聞かれた僕は、こう答えた。
「もし家の商売(塗り箸屋)がうまくいかんようになったら、
米が買えんようになる。そん時、これを友達に売って、
家計の足しにしてもらうつもりやったんや」
中学に入ると、楽器を演奏する楽しさを味わった。
ブラスバンドでは、サックスを演奏し、部長として指揮をとった。
学校放送では、職員室のスイッチを切ったまま、
ロックのディスクジョッキーを始めた。
そんなある日、テレビの音楽番組を見ていると、
司会の高島忠夫が裸足でステージに出て来て、こう言った。
「アメリカの西海岸では、ヒッピー達が髪を伸ばし、花を飾り、
町を裸足で踊り歩いているそうです」
それを聞いた僕は、ビビビっ! ときた。
「これは天からのメッセージだ!」
それ以来、僕は靴下、上履きを脱ぎ捨て、
「裸足の生徒会長」となった。
リサイクルの収益金で、学校中を花でうずめ、
毎日、全校一斉に、一分間の瞑想タイムを設けた。
「ゴアタヒ運動」なんてのもやった。
ゴみが、アったら、タだちに、ヒろおう!
大学も一次試験に受かっていたのに、
高校卒業式の五日前に家出、ドロップアウト。
髪を伸ばし、野宿とヒッチハイクを繰り返しながら、
放浪の旅をした。
ある日、南の島に渡りたくなった。
船はヒッチできないし、日雇い仕事も見つからず、
路上でオカリナを吹いて、大道芸人をすることにした。
全国のアーケード商店街でも、オカリナを吹いた。
足下には破れ帽に小銭、段ボール紙にマジックで、
「愛と平和の未来のために! 自由円カンパを!」
二年間、旅をしたインドでは、泥棒にお金を盗まれた。
乞食だらけの街角で、オカリナを吹いて命をつないだ。
スピリチュアルなハイを求めて、27才の時、
アメリカに渡る。
悟ったグルたちに、かたっぱしからグル巡り、
パワフルな影響を受ける。
ババ・ハリダス、和尚ラジニーシ、ラムダス、
ダライ・ラマ、トゥルンパ・リンポチェ、、、。
仕事は、メキシコ人に混じって、リンゴもぎ
→清掃夫→ちんどんや→土方→八百屋
→手に職を! と思ってペンキ屋に就職。
→はしごから落ちて大けが
→独立してペンキ屋のボス→少し成功
大きな仕事が終わると、打ち上げで、
スタッフを寿司屋に連れて行く →お勘定が$500!
儲けの半分が、飛んでいく~
→これは、「ペンキ屋よりも、寿司屋になった方がいい!」
という宇宙からのメッセージ!
ペンキ会社をスタッフに引き継いでもらい、
自分は寿司修行に、ハワイのワイキキへ。
(日本は厳しそうだし、サーフィンしたかったし、、、)
33才の時、コロラド州のボールダーで、
ロックンロール寿司バー、「寿司三昧」を始める。
開店パーティーで、またまた天からのメッセージ!
、、、が聞こえたような気がした。
「ぼく、一生、お寿司握るの?
ノーノー、10年後の今日まで、愉快に働く。
その後は、宇宙と遊ぶんだ!」
寿司シェフだけで作ったロックバンド
”すしQバンド” は話題になり、
ライブハウスやテレビ出演が続く。
TBS金曜テレビの星で、ウガンダと競演、
ナルホドザワールドで、堺マチャアキやヤックンと。
ニューヨークタイムズや、ニューズウィークが、
「アメリカで一番おもしろいスシバー」として紹介。
1993年、オリバーストーン監督の映画
”ヘブン&アース” を友人の喜多郎さんが担当。
僕の演奏する尺八も、映画音楽に使われる。
喜多郎さんのコンサートで、友情出演。
ステージでオカリナと尺八を演奏。
ミュージカル映画「カンニバル」に、
インデアンの酋長役で出演。
1994年、天皇・皇后両陛下、ご訪米のおり、
シェフとしてオードブルをまかされる。
両陛下のテーブルに行き、料理を献上。
陛下よりねぎらいのお言葉を授かる。
43才、寿司バーのオープンからちょうど10年後、
店をパートナーに任せて、アーリー・リタイヤー!
夢が叶っちゃった!
1995年、アガスティアの葉のからくりを書いた旅行記、
「アガスティアの葉の秘密」(たま出版、真弓香共著)が出版。
1996年、マイケル・ジャクソンのギター奏者、
クリストファー・カレルのプロデュースで、
夢だったオカリナのソロCD が発売。
1997年、ハリウッド映画、「オーガズモ!」に
俳優の小林薫さんの代役として出演。
ヒップホップ寿司シェフ役!
CD「 オカリナの夢」が、プレム・プロモーションより、日本発売。
翌年、2枚目のCD「 マイ・オカリナ・クリスマス」が発売。
同年、ペルーのシャーマンとの冒険を描いた2冊目の旅行記、
「 マジカル・インカへの旅」(第三書館、真弓香共著)が発行。
同年、半生を綴ったマンガ、アメリカンドリーム・コミック版、
「 ロックンロール寿司シェフ物語」(世界出版)が発行。
同年、ブラジルでの体験をリポートしたノンフィクション
「 宇宙(そら)からの医者、ドクター・フリッツの奇跡」が、
小学館より発行。
のちにこの本は、英語、ポルトガル語、ドイツ語に翻訳され、
3カ国で出版。
毎年、全国で 講演・ミニコンサートツアーを開催。
のべ100カ所以上で講演。
フォーカス、SPA!、毎日新聞「人」欄、など
多くの雑誌、新聞にとりあげられる。
以後、毎年、2-3冊のペースで著書を発表。
「ソウルメイトに出会う本」をはじめ、
著書は全部で、15冊を数える。
特にサイババの少年虐待を暴いた「裸のサイババ」(ヴォイス)は、
センセーショナルな注目をあびる。
また、ミステリーサークルの真相を検証した
「ミステリーサークル・真実の最終回答」も、話題となる。
日本のテレビにも、コメンテーターとして出演多数。
「たけしのテレビタックル」「爆笑問題のこれマジ!?」
「たけしの大晦日、特番」など。
ミレニアム以降の10年間は、対外的な活動を止め、
好きなときに、好きな場所で、好きなことをする。
1年のうち、ボールダー、日本、海外旅行を同じくらいずつ。
日々のモットーを二つあげると、、、
「人生は、ひろく浅く、おもしろく」
「気まま、わがまま、あるがまま」
見たお芝居やミュージカル、、、数えきれない~!
世界中で、ハイキング、ゴルフ、スキューバダイビング
すでに訪れた国、、、110カ国
登った山、、、キリマンジャロ(アフリカ)キナバル山(ボルネオ)
還暦をむかえた今、、、
有森裕子さんに誘われ、東京マラソンに出てみる。
2011年、12年、13年、連続完走。
2013年11月、南極アイスマラソンにチャレンジ。
2014年4月、北極マラソンに挑戦。
同年暮れまでに、「七大陸+北極、グランドスラム」会員に
なることを夢見ている。
(まだ、日本人男性会員数は、ゼロ!)
なにかで読んだが、寿命を決める要素は、
3つあるそうだ。
(1)遺伝(ガンにかかりやすい、など)
(2)生活習慣(食べるもの、運動など)
(3)運!